■定年延長というリアル この前、ピータードラカーの著作を読みなおしていたら、気になるところに出くわした。おそらく、以前は気にも留めていなかったところだろう。しかし、今読んだら気になったところだ。 ド ラッカーは言っていた。第一次世界大戦まで、ビジネスマンの定年は45歳だったと。正確には、ビジネスマンではなく、被雇用者だ。その当時の被雇用者は肉 体労働が中心だったから45歳くらいになると「使えなく」なったわけだ。しかし、労働者の中心は肉体を礎とするものではなくなった。知的な資本を礎とする 労働者が爆発的に増えていった。 結 果どうなったか。定年の延長である。60歳まで延びた。そして、その結果、みんなが豊かになった。これは良いことだ。定年が延びたら、当然、生産の絶対値 が増えていくから豊かになる。当然のことである。働くことは全体のGDPに寄与する。豊かになるとは必然だったのである。 そして、同時に弊害も出てくる。 本来であれば、60歳まで働くに値しない人たちも60歳まで働くようになったのである。これは「弊害」と書いたものの、不可避なことでもあった。知的労働者が中心となった社会では、その宿痾も必謬として受け止めるしかないのである。 ただし、経済の成長が続いている間はそれでもいい。しかし、経済が停滞していると、その「働くべきではない」労働者たちの受け入れ先がなくなる。そのとき、行き場をなくした労働者たちはどこにさまようことになるだろうか。 これからは、ドラッカーが言っていることではない。私の考えである。
■加齢したバイヤーという現実 私が最初に働きだしたとき、上司は31歳だった。 し かし、いまでは直属の上司が50歳を過ぎていることもある。私は、31歳のほうが、50歳よりも優れている、と言いたいわけではない。ただ、31歳の情熱 のほうが、50歳の情熱よりも勝っていることは多いだろう。人間は、遠い世代の「凄い人」よりも、近い世代の「凄い人」から学べることはたくさんある。 ええい、もっとはっきりと言ってしまおう。 今では、加齢とともに年齢相応のポストを得にくくなっているから、かなり年配者でも役職を持たない人が多くなっている。それが悪いことだとは言わない。ただ、現実的にそうだということ。 と するならば、若いバイヤーたちが見るのは、加齢しているのに、「自分とあまり変わらない仕事をしている先輩たち」であり、「年を経ても、おんなじような仕 事にだけ携わっている先輩たち」である。この点は、企業はもっと真剣に考えるべきだと思う。その現状が、若手のモチベーションを下げているのは間違いない ように思えるからだ。 もちろん、モチベーションが低かろうが高かろうが仕事をちゃんとこなす、ということはビジネスマンにとって最低の要求水準である。ただ、そのモチベーションの低下が目の前の業務に立ち向かう際に弊害となってしまうことも、やはり事実であるだろう。 自 分と同じような納期調整をして、自分と同じような価格交渉をして、ときには設計者から自分のほうが頼られている、などという現実を冷静に考えてみれば、そ の会社でキャリアを積むことに不安を感じてしまうだろう。もっといえば、「かっこいい大人」になる夢を見ることができないだろう。これが問題と言っている のである。 私がとりわけ「運が良かった」と思うのは、若いころに「かっこいい大人」に出会えたことである。これは理屈ではない。「かっこいい大人」に出会えた若者は、大袈裟に言えば「生きる望み」を持てる。いや、やっぱり大袈裟じゃないな。そういうものなのである。
■調達・購買に必要なこと 私は処女作である「調達力・購買力の基礎を身につける本」の冒頭を、サプライヤーにたいして脅すことしかできない「魅力のない先輩バイヤー」の話からはじめた。それは、これまでのバイヤー像の情けなさを浮き彫りにするとともに、加齢とともにふさわしいスキルを身につけるべきだという自己宣言のつもりでもあった。 「年齢にふさわしいスキルを身につけていないバイヤーは去れ」 昔の私であれば、そう言っていただろう。しかし、今ではもうちょっと優しい言い方をしよう。 「年齢にふさわしいスキルを身につけていないバイヤーは、せめて後輩の前でデキる先輩のフリをしろ」 である。そして、もし可能であれば海外出張のチャンスや、難しい会議の出席を後輩に譲ってみたほうがいい。それこそが、後輩に道を譲る一歩になると信じるからだ。若い人だって、相当なことができるよ。あとは、彼らに道を譲る覚悟があるかどうか、だけである。 自分より若いバイヤーたちのみずみずしい感性を信じてもいい。それくらいは常に楽観的にいたいものだ。 た だ、若いバイヤーたちが、先輩バイヤーたちの影で隠れているところを見るにつけ、「先輩ごときに負けてんじゃねえよ」と思ってしまう。私の負けん気が強い だけだろうか。そうだったら、ごめんなさい。でも、年齢の差程度で引け目を感じてしまうことは「あってはならない」と私は思うのだ。 これまで、生産現場では「見える化」という言葉が一つの潮流を作ってきた。すべてを「見える」ようにし、視覚的に成績を把握しようという試みは有効だし、これからも輝きを保っていくのだろう。 しかし、と私は思うのだ。 調達・購買業務にとって、今必要なのは、「見える化」ではなく、先輩バイヤーたちの「消える化」ではないのか、と。 違いますかね。
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