・「いま、会いにゆきます」 手前味噌で恐縮だが、「だったら世界一の購買部をつくってみろ!(坂口孝則・野町直弘 著)」という本のなかで、共著者の野町直弘さんが、私(坂口)にメールしたときのことを書いている。 「思 えば、それは一通の電子メールのやりとりから始まりました。それは、2005年の4月初めの頃、坂口さんのメールマガジンを偶然見つけ、その感想を本人に 送付したときのことです。感想に加えて、『一度、会ってみませんか』と書いておきました。時間は23時をまわろうとしていたときのことです」 そのあと、私がすぐさまメール返信で「これから会いに行きます」と書いたところ、野町さんが、さすがに「これから」は無理だ、と断ったという微笑ましい(笑)エピソードが出てくる。 23時から誰かに会いに行こうとする社会人はどうかと思う。あ、自分のことか。 人 は誰かとの出会い、何かの出来事で、人生を変えることがあるという。とするならば、人の倍その二つを経験したら、人生を人の倍ほど変化できるのではない か。そう若き日の私は考えた。人の倍、といっても、人の倍の時間を活動することはできない。とするならば、1時間で処理できる能力を増すことだ。人が1時 間で100しかできないことを、200できるようにすること。そうすれば、時間は同じでも、倍の仕事・出会い・経験ができるではないか。 こ の「発見」は、笑われるだろうが、私にとって、大きなインパクトとなった。仔細な進化であっても、それを積み上げればものすごい差となることを、私は経験 から確信している。だから、私が新人バイヤーに、まず薦めることは、何よりも「仕事を速くこなす技術を身につけろ」ということと「常に即決を」の二つなの である。 ・「決断の技術」とは何だろうか たとえば、私は、街中ですれ違った女性から「これから食事に行きませんか?」と誘われる可能性はゼロであることを知っている。だから、それに関しては、「どう即決すべきか」という問題を頭に浮かべておく必要はない。 しかし、突然メールが届いて「このようなテーマで原稿を書いてほしい」という依頼だったら、ありうる。どのようなテーマならば引き受けることができて、どのようなテーマであればお断りせざるを得ないか、とはその場で考えるものではなく、予め考慮が可能なものだ。 あるいは、「ウチで働いてみませんか?」というお誘いが届くことも、予想ができないわけではない。とするならば、それに対してどのように返信するか、も予め考慮が可能である。すなわち、「即決」とは、「勇気」ではなく、「想像力」の一つの表出にすぎないことなのだ。 あ えて言ってしまうと、通常の仕事のなかで、平社員が社長から「明日キミを取締役に選出したいのだが、引き受けてくれるか」というオファーが届くことは、ほ ぼありえない。しかし、「違う事業所に異動してほしいのだが、引き受けてくれるか」というオファーが届くことは、十分想像できる。想像できる、ということ は、予め考慮を重ねていれば、即決ができるということである。だから、即決とは、その本人の「想像力」を問う種類のものなのである。 ・「成長する人」と「成長できない人」の決定的な違い 「この価格でどうでしょうか?」とサプライヤーが見積りを提示してくれたとする。そのとき、「ううん、社内に持ち帰って検討してみます」とバイヤーが言ったとすれば、それは想像力の欠如にほかならない。 ど の程度の金額を持ってきてくれたら合意とし、合意できない価格はいくらか、その程度のことは、「交渉術」なんて高尚なものではなく、当然の事前決定事項 だ。また、この価格だったら社内を説得することはできるだろう、と考えることもしておかねばならない。最終的な着地地点を常に想像し、その過程において、 相手や社内が取りうる可能性を考慮しておくことこそ「即決」の源泉にほかならない。この想像のプロセスを欠いたバイヤーは、いつも「出たところ勝負」にし かなりえず、仕事の時間ばかりとられてしまうだろう。 そして、それは冒頭の言葉につなげれば、「人生をより良くするスピード」を鈍化させていることになる。恐ろしいことだ。 ・「自分にはできない」という無根拠で強固な自信 こう書くと、どこか難しいことのように思ってしまう人がいるかもしれない。「私には行動力がない」、「私は速く・早く仕事をすることはできない」、「私は勇気がない」、これまでさまざまな意見を聞いた。 そこに共通しているのは、「自分にはできない」という無根拠で強固な自信である。 そ れほどの「自信」があれば、ポジティブな方向に使った方がいい。そして、逆説的にいえば、人間は常にポジティブな思考しかできないのである。「俺は、そん なことはできない」というとき、その「できない」と思う自分をポジティブに過信しているのである。何かを否定するとき、何かを強く信じているのだ、という 裏の側面を意識できる人は少ない。 同じく「信じる」のであれば、自分の可能性をもっと信じたほうが良い。その個人の信念の積分が、よりよい調達部門、その先には、よりよい社会の現実につながるのではないか。 今の立場が、田舎の調達部門の片隅で、将来の見通しさえも立たず、毎日決まった業務だけを繰り返しているバイヤーであっても、次の瞬間から変えていくことはできる。まさに、私がそうだったように。 ・一人のバイヤーだからこそ、すべてを知っているという逆説 「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉がある。しかし、この言葉のあとに、一文を付け加えると、印象は大幅に変わってくる。 「井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の青さを知る」 井 の中であっても、顔を上げれば、そこには広大な空が広がっている。もしかすると――、空の、果てのない、そして感動的ですらある青さを、地上にいる誰もが 当たり前すぎて改めて感じないかもしれない。しかし、井の中にいる蛙は、その制約ゆえに、世界の美と、世の中の奇跡に心動かされるのである。 毎 日の会社と自宅の往復のなかで、多くの人は狭い思想に固まる。これは批判ではない。そのようなものなのだ。この思想を打ち破るのは、意識的にならないと、 できない。それには、「スピード」「即決」と、狭い社会に身を置いていたからこそ見えてくる「大きな空」に飛び出す、ほんのちょっとの勇気さえあればい い。 そして、その「空の青さ」を知れば、日常の仕事にも好影響が出てくる。たまたま知り合った同業者と、 「材料の高騰についてどのように対応するか」というテーマで情報交換をしたり、サプライヤーの企業分析についての新たな手法を学ぶことができたり、それら を持ち帰れば、これまでの仕事が進化するのは、当り前のことなのである。 そうすれば、これまでの仕事で 違ったものが見えるようになる。同僚が見えていない、あなただけに見えている何か――。無意識に、あなたは情報を探し出す。無意識に、あなたは書店で、こ れまで全く興味のなかった分野に足が動く。無意識に、これまで興味のなかった社内部署にコンタクトしだす。 人間は、意識革命が必要なのではない。無意識革命こそ必要なのだ。 ・「目の前のことをしっかりやりなさい」の本当の意味 新 社会人からこういう質問を受けたことがある。「世の中の人は、目の前のことをしっかりやっていればいい、とよく言いますよね。でも、あれって、単なる現状 肯定でしょ。そこからは、次の仕事を選んだほうがいいとか、変えなければいけない、とかっていう発想は出てこないのではないでしょうか?」 このことについて、自分自身でもずっと考えてきた。5年以上、ずっと考えてきた。それに対する、私の現時点での回答はこういうものである。 「そ れは、現状肯定の言葉ではない。それは、目の前のことを必死にやっていれば、そのうち、あなたを評価し、外に連れて行ってくれる人が出てくる、という意味 なのだ。それが、調達部門内での出世か、違う部門か、違う会社か。それは知らない。ただ、言えるのは、現状よりも良いところに連れて行ってくれる、という ことだ」 だから、あえて言う。 若いビジネスマンよ。お金 のことなんか気にするな、と。無責任のようだが、お金なんてあとからついてくる。実力さえあれば、あとからお金など増えていく。投資ブームなどがあったと きに、最も堅実なのは、自分に投資することだ、と気づいて人は少なかった。外部から「何かを得る」よりも、最も確実な方法は外部に「何かを提供できる」人 間になることだ。この逆説を注視せよ。 では、最後にいつものフレーズで終わっておく。 「バイヤーは、無意識を変えろ!」
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