私(坂口)のメールマガジン「世界一のバイヤーになってみろ!!」で、かつて大変反響を呼んだ記事がありました。ここでふたたび掲載しておきます。このエピソードは、今こそ読み返す価値があるのではないかと思うのです。 人間は物語という季節のなかで生きている。 7年ほど前の季節の――つまり2001年に起こったすべての物語の――なかで、ある一人の若いバイヤーの物語ほど、のちまで私に大きな影響を与えたものはない。 「IT不況」と称されるその年は、世の中にあふれていた商品が突然売れなくなり、かつて「時代の寵児」と称された若き成功者たちが没落を始めていた。製造業の各社は、なんとかコストを抑えねばならない、削減せねばならないと焦っていた。しかも、その焦りのやっかいなところは、その不況の大きさから、何をやってよいのかわからなかったことだ。 各企業のなかの調達部門も、その無策ぶりでは一緒だった。しかし、なんとしても各社の協力をとりつけ、抜本的なコスト低減を図らねばならなかった。それも、早急に。 ただ、どうしてよいのか、その絶望の前に立ちすくんでいた。 これは、ある電機メーカーでの話である。 調達部長に、ある課長が提案した。 「うちの課に、犀川詠二(仮名)という若手がいます。若いけれど、やる気はあるし、他部門と本当に仲がいいし、いつも予想以上の成果をあげてくれます。ためしに、彼に原価改善のプロジェクトを指揮させてみませんか」犀川は呼び出され、調達部長から簡単な指示を受けた。 「緊急コスト改善プロジェクトとして、今年20%の削減を達成してほしい」その犀川という、わずか入社6年目のバイヤーが、その翌日から誰も考えつかなかった手段を取り始めた――すべてのサプライヤーの経営者と営業担当者に直筆の手紙を送り、コスト抑制のために「御社と一丸になって取り組みたい」と伝え、一社一社面談に歩き、少なからぬ経営者がその若者の熱意に落涙した。彼は現場で汗を流し、社内部門と調整を繰り返し週に何度も終電を逃し、疲れた体をなげうって朝早くから自社の工程作業者とも会話を重ね、同じ調達部門の人間にも涙目で訴えることで全体をまとめ、2002年には本当に20%の削減を実現させてしまった――ということの詳細を語ることは、今回の私の主題ではない。 私の感動を呼ぶのは、次の点である。部長が犀川にプロジェクト立ち上げの指示をした際に、犀川は「どうやって、そのコスト削減を推進すればいいんですか?」と訊き返さなかった。なんと向こう見ずで果敢で、それでいて勇気あるバイヤーだろうか。 バイヤーにとって必要なのは、机上の調達知識や先端のツールではなく、ましてや小手先の交渉テクニックでもなく、横文字の知識でもない。凛々しく目の前の仕事にぶつかることである。そして先輩ができることは、勇気を教えてあげることである。 そうすれば、若いバイヤーたちは自発的に問題を解決しようとし、信頼を勝ち得るために果断を下し、気持ちと人生を集中させ、そして自分の極限をためすために、無謀なプロジェクトであっても飛び込める人物になっていくだろう。 今は2001年ではない。しかし、2001年のごとき状況は、今だって、そして将来だって、いつでも起きるのだ。 バイヤーとしていくつかの仕事を指揮したことがある人であれば、そして物事を少しでも改善させようと苦闘してきた人であれば、きっと分かってもらえるだろう。社内外の多くや、同僚のバイヤーたちは、あまりに意欲がなく、おのれの力で何か新たな地平線を拓くという意思を持ち合わせていないのだ。 適当な仕事に、真剣ではない交渉。仕事そのものへの無関心、そして努力も学習もしようとしない。そして、こういうものが普通になってしまっている。だから、そういう人たちを給料で釣るか、脅してやらせるか、奇跡が彼らを消し去って有能なバイヤーたちに置き換わるか。そんなことがない限り、プロジェクトを成功させることは難しいだろう。 テストをしてみよう。たとえば、これを読んでいるあなたの周りに五人の同僚か部下がいるかもしれない。そこで、あなたはその一人に、こう言ってみてほしい。「ウチでコスト低減を推進するために、まずは他社がどんな手法をとっているか調べてくれないか」 その「彼」は、すぐに「了解しました」といって調べ始めてくれるだろうか。おそらく、そんなことはないだろう。 きっと「彼」は、めんどうくさそうな、そして生きる熱意を喪失したような目で、こう聞いてくるだろう。「他社って、たとえばどこですか?」「そういうのって、どうやって調べればいいんでしょうか?」「どのホームページに載っているんでしょうか?」「そんなことやっている時間はないんですが」「田中君にやらせたらどうですか?」「明日でいいですか?」「ニュースサイトをお伝えしますから、ご自分でやってくれませんか?」「ぼくは、そんなことをするために、ここにいるんですか?」 そして「彼」は、その質問のあとで、不満そうな顔で頷き、しばらくすると違う誰かに――事務職の女性とかに――その仕事を丸投げし、その5時間後に「探すことができませんでした」と言うだろう。もしかしたら、あなたが想像する以上の資料が出てくるかもしれない。 でも、多くの場合は、そうではないだろう。残念ながら。 あなたは、きっと大人の表情で「そうか。わかったよ、ありがとう」と言うだけだろう。このように、自分から動こうとせず、創造性を自ら捨ててしまい、倫理を持ち合わせず、やる気がなく、相手が気持ち良くなるように仕事を引き受けることができない人たちがいるから、調達・購買部門の地位は低いままなのではないだろうか。 自分のためにですら努力しようとしない人物が、まわりのため、会社のために行動を起こそうとするだろうか。こういう人たちに、仕事の尊さを理解させることはできない。それができるとしたら、給料を下げるか、あるいは会社の片隅に飛ばしてやることくらいだ。 最近は、雇用状態が不安定になっているから、多くのバイヤーが職場に不満を抱えたままとどまっている。バイヤーの中途採用を募集しても、その多くは日本語すらちゃんと使えず、礼儀もしっかりしておらず、しかもそれらがなぜ大切かを考えてもいない、と私の知り合いの経営者はいう。 このような人たちを信じて、全権を託して、「緊急コスト改善プロジェクト」の立ち上げを命じることなどできるだろうか。 「あのバイヤーのことなんですけどね」とある企業の調達部門の課長職の男性が教えてくれた。「あいつねえ、仕事はちゃんとすることはするんだけれど、出張に行かせたらダメだね。絶対にサプライヤーさんと飲みに行っては、遅くまで女性の店に居座るんだよ」こんな男性に、部門の運命を任せることができるだろうか。 私は最近、「不況で、虐げられている従業員たち」に対する、同情をよく耳にする。私はその同情に与しないわけではないが、すべての従業員たちが高潔ではないのと同じように、すべての経営者たちが貪欲でもない、というくらいの認識は持っている。経営者たちが、ロクな働きをしない社員たちに、少しでも良い仕事をさせようと走り回っても、社員たちがその熱意を全く理解せず、すべてが徒労に終わった例も知っている。そして彼らは髪の毛を白くする代わりに、ほんのちょっとのお金と住むところ以外は何も残らない。 今はみなが必死である。ほぼすべての企業や部門のなかで、ちょっとしたムダを駆除しようと苦悶している。そして、もしかすると報われないかもしれない努力が重ねられ続けている。そんな中にあっては、経営者たちは「ちゃんとした働きをしてくれるはずだった」バイヤーたちを解雇し、代わりの優秀な人物を雇う、ということが起きても何ら不思議ではない。 会社経営とは、もちろん社員の幸福向上のためにあるものでもあるが、まずは最大限の利益を捻出するために集中される。それは、「緊急コスト改善プロジェクト」を、自信をもって引き受けてくれる勇気ある人物を探し続ける、ということでもある。 人は自分自身を悲劇のヒーローにしがちだ。だから、バイヤーたちと話すと、そこにはいつも悲哀が満ち溢れている。「課長がイヤな奴で!」「誰もおれの本当の実力が分からないんだ!」。そのようなバイヤーは、まず何よりも「自分が他人に与えるところから始めなければいけない」という真実を知らない。 だから他者から何かを受け取ることもできないだろう。もし彼らに「緊急コスト改善プロジェクト」をお願いしたら、きっとこう言うだろう。「忙しいので、他の人にお願いしてもらえませんか?」 私は、このように意欲がないバイヤーを、簡単に更生させることができない、と経験から知っている。それに、むしろこのような人たちは憐みの対象かもしれない。 しかし、である。彼らを憐れむ暇があるのであれば、別の人たちに対してそっと涙を拭いたい。つまり、崇高な目的のために就業時間やお金など関係なくただひたすら努力しているバイヤーたち、そして今日も勝てない調達に挑んでいる偉大な「どあほうたち」に、である。 私は言い過ぎだろうか。そうかもしれない。 ただ、私の関心の対象はいつも、無謀な仕事に熱意をもって取り組むバイヤーだった。「緊急コスト改善プロジェクト」を命じられればそれを黙って快諾する。無視しようとせず、やる前からあきらめもせず、自分の不遇を恨んでみることもない。 そんな人であれば、もし会社がなくなっても、どこでも働いて生きていける。 社会の進化とは、そのような高貴な生のあり方を探し続ける、終わりなき旅のことである。 2001年に私が不意に聞いた物語。彼はその後、社内のすべての話題をさらった。彼はどこの調達部門でも、いや、どこの会社でも、どんなプロジェクトでも、どんな人間からも必要とされるのだろう。 誰もが、彼を呼んでいる。 彼のような人間は、多くのところで、本当にいたるところで、本気で、真剣に、必要なのだ。
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