増刊号(2009年9月14日号) ■■今回のマガジンは、定期号とは別に二人の執筆者が増刊号としてみなさまにお伝えするものです■■ 当マガジンをご購読いただいた方には、定期号とは別にこのような増刊号も継続的にお届けします。 ・
旅行とパラダイムシフトと、調達・購買の明日(坂口孝則) ■■旅行とパラダイムシフトと、調達・購買の明日(坂口孝則)■■ ・民主党政権を目の前に これまでいくつかの国を旅してきました。ヨーロッパやアジアなどに行くたびに、日本のことなどほとんど現地では報じられていないということに気づきます。おそらく、多くの方も同じことを気づくでしょう。加えて、日本人が既成概念として持っているものがいかに間違っているか、あるいは物事の一片しか見ていなかったかを思い知らされます。 日 本では悪玉として報じられている人が、現地では善玉になっている。たとえば、ポルポトは現地では一部でいまでもなお英雄視されていますし、スターリンなどの評価も同様です。こちらは、共産思想対資本主義思想、あるいは保守対革新という対立軸しか持ち得ないのに対し、現地ではさまざまな見方や事実があります。大袈裟ではなく、パラダイムが完全に逆転している例も枚挙に暇がありません。以前、インドで起きた民衆暴動は、「差別を守れ」というものをスローガンとしていました。書き間違いではありません。差別を撤廃するのではなく、差別を「守れ」という民衆のデモがありうるわけです。日本では、差別問題についての民衆運動、という報じられ方をしました。これをさらっと読むと、全然分からない。でも、現実は差別制度を緩やかにしようとした政府にたいして、民衆側が「そんなことするな。差別を温存せよ」という主張を繰り返したのです。ちなみに、このデモは焼身自殺まで引き起こしました。どの程度「本気」の抗議だったかがわかります。 差別を守れ、とは被差別者が、その被差別ゆえに来世には、位のあがった身分になれることを意味しています。一般に思われていることとは異なり、古来仏教では ある特定個人の魂が輪廻転生を繰り返す、という教えはありません。特定密教では、その個人固有のアートマンが、身体が死ぬたびに来世に置き換わる、という考えはあります。しかし、釈迦が説いた教えでは、この固有のアートマンが輪廻転生を繰り返すという教えはないのです。むしろ、釈迦のいう「業」=「カルマ」とは、「たまたまその人に降りかかったもの」というニュアンスが近いと私は考えます。前世とは関係なく、たまたま背負わざるをえなかった処遇。それを 業と呼び、現世の行いしだいでは、その苦しみから逃れることができるはずだ、と釈迦は言いました。 ただし、カースト制においては、現世の身分は絶対であり、その身分の原罪を購い罪却することによって、来世の発展があるとします。そういうわけですから、差別を撤廃することは、むしろ来世の発展を約束しない愚挙ということになるわけです。差別があったほうがいい。そういう思想は、私たちにとってはありえません。しかし、飛行機で数時間飛んだだけの異国ではありうる。それが現実なのです。 現実は、月光仮面と悪者が闘っているわけではない。世の中はそんなに単純じゃなく、どうも、もっと複雑なものらしい。若い日の私はそう思いました。 ときは移って、現代の日本です。いまでは、二大政党制が叫ばれ、福祉と安心、人権、平等、などというフレーズが跋扈しています。民主党が政権をとったものの、私は国民と政治家の一貫性など、ほとんど信じてはいません。二大政党制も、人権も平等も、近年なって限られた国に浸潤した概念にすぎず、それは絶対的な価値があるかなど誰にもわからないからです。おそらく、時が経てば、その価値も変容せざるをえないでしょう。「数百年先まで通用する美しき国家理念を」 という人がおり、その意気込みは評価できるとしても、現実的にはそのような理念はありえません。現代であっても同じ単語について、まったく異なる評価がありえます。さきほどのインドでの「差別を守れ」運動を思い出してください。それなのに、数百年先まである理念がそのままの意味で生き続けるなど、私にはとても可能だと思えないのです。 それほど難しい話ばかりするつもりはありません。たとえば、恋愛という概念はどうでしょうか。以前、昭和天皇が結婚する際に、ある新聞記者が宮内庁に「恋愛結婚ですね」と問うたことがありました。そのとき、宮内庁は必死になって取り消したのですが、それは上流階級の子女が「恋愛結婚などとんでもない」という 価値観が存在していたからゆえだったのです。いまでは考えられないことでしょう。ほんのちょっと前までの日本では「お見合い結婚が当然、恋愛結婚などとん でもない」という価値観がほとんどでした。現在では、その価値観が完全に逆転してしまっています。いまでは、お見合い結婚など、「あらら、相手が見つからなかったのね」という酷評すらありえるかもしれません。この逆転、すなわちパラダイムが変換するのに、わずかの時間しかかかっていないのです。加えていえば、女性から男性に告白する習慣が広がったのは、現在から40年ほど前にすぎず、それ以前は、女性は「選ばれる側」でしかありえませんでした。これが悪いことか良いことか、私はあえて判断しません。ただ、そのように思考の転換や常識の転換は頻繁に起きることだ、ということを述べておこうと思います。 2009年では、「恋愛力」などという言葉が生まれ、「結婚力」などという(笑)ものも能力として認められようとしているのです。まさに、疑うべきは常識であり、 現在の価値観は「絶対ではない」という程度の良識は持っておきたいものですね。ちなみに、私の「調達力・購買力を身につける本」というタイトルは、当初「調達・購買の基礎を学ぶ本」というものでした。そこに「力」をつけたのは、担当編集者の「力」量といえるものです。もちろん、「調達力・購買力」というのも、一つのパラダイムを作ろうと試みたものでした。これがどれだけ広がるかはこれから見守るところです。 「調 達力・購買力」の話になったので、もっと卑近な例をあげましょう。調達・購買の社内的地位についてです。わずか数年前まで、ある出版社に企画書を持っていったところ、「このテの刊行物が出ることはありえない」と言われ、その場で1ページも開いてくれませんでした。しかも、1社ではなく、複数社が同じ対応 だったことは忘れることはできません。そんな状況だったのに、今日に至っては、固有名詞は省きますが、同じ出版社の違う担当者からは「本を書いてくださ い」というお願いが届くほどになっています。時の流れとはこういうことです。そのときそのときの基準は、絶対的なものではありません。サラリーマンの歴史は200年程度しかないのです。その200年しかないものにたいして「サラリーマンなんてこんなもんだ」と偉そうに言う人は信じないほうがいい。私はそう 思います。ちなみに、人類の歴史は200万年ほどあります。日本にいたっては、サラリーマンは60年くらいの歴史しかありません。これからどんどん変わっていく可能性が高いものですし、わずか60年で固まってしまうと考えてしまうほうがヤバいでしょう。 以前、オタキングこと岡田斗司夫さんが、オタクの地位向上を目指す際に「オタクでもかっこいいんだ」という言い方をせずに、「オタクだからかっこいいんだ」 という言い方を戦術として持っていた、という話を聞いたことがあります。オタクという言葉は中森明夫さんが80年代に造語として提唱して以来、どこか暗い イメージがありました。それを、「オタクだからかっこいいんだ」というパラダイムシフトを行ったわけです。いまでは「オタク」をホメ言葉として用いる人も 多くなってきました。私もその一人です。思考や評価の逆転などすぐに起きます。あとは、それを意識して起こすかどうか、です。 以前、私は資材部というところに属しており、社内からのその部門にたいする評価はそりゃ酷いものでした。「何もできない資材部」というわけです。人員も、けっしてエリートコースの人がいるわけではなく、優れた仕事をしていたかというとそんなわけでもありませんでした。そこで、私はためしにHTMLを覚えて、社内のイントラに毎週のように記事をアップしはじめることにしたのです。社内のイントラを使って良い、など誰も許可してくれていない状況でした。しか し、やってしまって「既成概念」を作り上げてしまえば、日本人は反対できないということをわかっていましたから、勝手に始めたのです。記事、といってもたいしたことはありません。自分が当時担当していた部品の最新リスト、あるいは自分が他部門と手がけたコスト低減実績、サプライヤーの情報……等々、バイ ヤーであれば誰でも持っているような情報ばかりです。それらを続々とアップし社内メールのフッターにURLをつけておくことにしました。「何か問い合わせ たいことがあったら、まずここを見て下さい」とやったわけです。そのうち、会議の議事録や問い合わせのメモ、新製品の情報など範囲は拡大し、かつ私の業務 感想のようなものも開示しはじめました。 今の私の著作を読んでいただけた方であれば、それらの量がどの程度膨大なものであったかは理解いただけるかもしれません(笑)。異常な量を書き進めて、それ をずっと掲載し続けました。おそらく、若手は質ではなく量にこだわるべきであり、量は訓練なしに実現はできません。私は知らないうちに自分で量をこなす訓 練をしていたというわけです。そこで、面白い変化が起きることになります。社内の設計者から、問い合わせはまずアイツにしろ、という風潮ができあがりまし た。私の担当製品かどうかなんて関係がありません。とにかく訊きたいことがあればアイツに訊いてみろ、ということになるわけです。それまで「資材部は役に 立たない」という思考があったところを、「何か役に立つかもしれないから、アイツに問い合わせしてみよう」という転換が起こりました。 少なからぬバイヤーであれば、この程度の転換は起こしているのではないでしょうか。しかし、私はもう一歩足らないと思ったのです。すなわち、「役に立たな い」から「役に立つ」だけではパラダイムの転換とまではいえない。どうせなら、「役に立つ」から「いてくれないと困る」にまで持っていかねばならない、と思ったのです。人を籠絡する手法は、「まずは簡単な仕事を請けたあとに、徐々にコアとなる業務を浸潤していく」ことが基本です。たとえば、焼き鳥屋さんを 専門で狙っている税理士さんがいます。その税理士さんは、焼き鳥屋の毎月の領収書を集めてエクセルでまとめる、というたった2万円にしかならない仕事をまず請け負うわけです。それをずっとやる。しかし、そのうち税金申告の時点になると、毎月の領収書処理だけではなく、申告の計算書類も手伝ってくれ、となる わけです。さらに、そこから節税対策のアドバイスをやり、調理器具導入時の減価償却対策などを伝授するようになり、焼き鳥屋はその税理士さん抜きにはやっ ていけなくなります。それはその税理士さんの典型的なビジネスモデルです。ささやかな仕事をまず受注し、そこからコアとなるところに入っていく。これは、繰り返しであるものの、人を籠絡する手法の基本です。 私の話に戻ります。私が何をやったかというと、笑われるくらい簡単なことでした。「議事録をとる」だけです。私は設計者に、「あなたは何も考えずに、会議に 集中してください。私が議事録をとるから」といい、ホワイトボードに書いた後は「あとは社内イントラにアップロードしておきます」と伝えURLを送りました。そのうち、膨大なデータベースが出来上がっていったのです。そこにいけば、過去の会議録を見ることができる、ということは逆にいえば、そこを使わねば 過去の議事録を見ることができないことと同義でしょう。そのときから私はサイト誘導をやっていたわけです。そして重要なのは、そこを誘導のあとは、訪問者 にとって自分が「いてくれないと困る」にまで持っていくことでした。 アウトソーシングの怖いところは、以前は社内で実施していた仕事であっても、一度外に出してしまうと、もう面倒でその仕事を再度行うことができなくなること にあります。だけどそれは、アウトソーシングを発注する側からすれば「怖い」けれど、仕事を受注する側からいえば「歓迎すべきこと」になるわけです。そこで、私は設計者が「今はやっているけれど」「いったん手放すと、もう再びすることができない」仕事は何かと考えました。そこで考えたのが、「ゾーニング」 です。難しいことではありません。設計者に届く無数の売り込みを、まず私が窓口になります、とやったわけです。バカげた幼稚なこと、と思うでしょうか。サ プライヤーとのやりとりを設計者が実施していることがほとんどではないですか。実際、私の部門では、資材部とは名ばかりで、サプライヤーとのやりとりや打 ち合わせを設計者主体で行うことがほとんどでした。私はまず「設計者は設計に専念すべきでしょう。ヘンな売り込みや、買うつもりもないのに、ためしに見積 もりを提示してもらったら、しつこく問い合わせがあることもあるでしょう。だから、まずは私を紹介してください。条件にあうもの、あるいは可能性があると ころだけを連絡します。また、サプライヤーに言いにくいことがあれば、私が代わりにやります」と伝えました。「汚れ仕事さえ引き受けます」と。これだけなのです。しかし、どれほどの人が実践できていますか。多くのバイヤーが「仕様とか品質とか、そういう面倒なことは設計者に直接連絡してくれ」とサプライヤーにお願いしているところを私はたびたび見てきました。 繰り返し、このことを、たやすい、バカげた幼稚なことだと考える人もいるかもしれません。しかし、ほんとうにこれを実行するだけでいつの間にか知識が溜まり、いつの間にか本を出せるまでになってしまいました。おそらくこれを実践する副産物は次のようなものです。 「役に立つ」から「いてくれないと困る」というパラダイムシフトは簡単に起きます。というのも、設計者も社内の他部門も、人間である以上できるだけ自分の仕事 をラクにしてくれる人を潜在的に求めているからです。あとはそれにフィットするかどうか。これが問われているのです。それ以降、私は優秀なバイヤーたちの 習性をいくつか見てきました。そこにあったのは、やはりある種の「過剰さ」と「厚かましさ」です。それは何か。その過剰さとは、社内のために自分が動いて やるという過剰さであり、その厚かましさとは、「俺を使ってくれたら役立つよ」と言ってしまう厚かましさです。 私がこの文書を書くきっかけは、ある読者の方から「資材部門の地位を向上させるのはどうすればよいか」というメールがあったとき、自分のことを思い出したからです。私は冒頭でパラダイムが容易に変化していくことを書きました。もし、現在の資材部の地位が低いのであれば、そのようなパラダイムが社内に蔓延しているというだけのことです。そのパラダイムは一変させることができます。「人権」という概念が、いつの間にか至高価値になったように。「恋愛」が若者の必須になってしまったように。 そして、私は著作を通じて常に個人を起点としたパラダイムシフトを描いてきました。もちろん、部門全体で変化することがふさわしいでしょう。しかし、残念ながら全体を一律に底上げしようとする手法はいつだって失敗するさまを見てきました。それよりも、一人の人間を起点としたほうが良いのではないか。たとえ個人主義といわれようが、それにより周囲が影響される可能性のほうがずっと高い。そう私は信じているのです。 私たちが運命論者ではなく、将来を形作っていくものだと信じているのであれば――。移り行くパラダイムを自ら操作するのも悪いもんじゃない。そう思うのです。
■■今、バイヤーに必要なこと(牧野直哉)■■ 突然だが、「あいさつ」に1億円の経済効果があることをご存じだろうか。1億円である。 ある調査によると、新人の印象の6割は「あいさつができるか」にかかっているという。初対面の相手であっても、あいさつの有無によって、その後の取引の成否 は3割ほどが影響されるのだとも。また、取引において、「優れた関係を構築している相手とのコミュニケーションは、そうではない取引先と比べて時間が平均 3割も削減できる」という。 相手にあいさつをして良好な関係を築く。そして、その関係を維持する。それだけで1億円の経済効果がもたらされる。これはレトリックかもしれない。しかし、 簡単な計算をしてみよう。バイヤーが1日に費やす交渉時間を4時間としよう。240分だ。それを3割削減するとすると、1日に72分であり、1年200日 では240時間もの差が生まれる。バイヤーのコストが時給換算で4000円だとすると、一人100万円だ。もしこのようなバイヤーが100人いるとする と、1億円になる。 すなわち、「あいさつをしなさい」という説教は精神主義からもたらされるものではなく、きわめて「経済合理的なもの」だったのである。 今回の内容は、2007年に10回シリーズでブログに書いた内容をベースにしている。当時は「新人バイヤーへの提言」という題名であったが、一部加筆、修正 して「今、バイヤーに必要なこと」として、この増刊号に掲載することにした。新人バイヤーへのメッセージを、全バイヤーを対象とした理由は次の三点であ る。 1. 新人バイヤーにとって大事なことは、ベテランになっても、マネージャーでも部長でも誰にでも変わることなく重要であること 2. ベテランほど基本ができていない場合のマイナスのインパクトが大きくなり、ベテランほど基本を再認識する必要性が高いこと 3. 日々新たな気持ちで仕事に立ち向かう為には、初心を忘れないことが何よりの薬であること 特に、言葉では「若い人へ期待する」なんて言いながら、実際の行動の中で足を引っ張りかねない中堅~ベテランバイヤーの皆さんに読んで欲しい。「今の若い人 は~」なんて言っている人には、自分を振り返る一手段として読んでいただきたい。中堅、ベテランともなれば、もう自分の事だけを考えればよい立場ではな い。自分の仕事の半分は後継者の育成と思うべきなのだ。若い人が頑張るときに何が必要なのか。自分はどういったサポートできるのか。「最近の若い人は~」 と言いたくなる若手を作っている半分の責任は自分にある、そんなことを頭の片隅に置きながらお読みいただければ、何にも増して私の喜びである。
(1) バイヤーは何をするのか
バイヤーの仕事とは何か。名の通り、モノを買うのが仕事……これは間違っている。特にメーカーに勤務している産業購買系のバイヤーは「違う」と断言できる。では、バイヤーは何をするのか。 バイヤーに限らずとも、心に留めなければならないのが「どうやって付加価値を生み出すか」である。付加価値とは必ずしも直接的な数値でのアウトプットばかり
ではない。そして、どうやって付加価値を生み出すかの前に、いったい何が付加価値なのかを一生懸命に考えることが重要なのである。バイヤーとしての付加価
値は何かを日々追い求めてゆく事が、我々にとって大きな使命となるのである。断言するが、どんな仕事にも創意工夫で生まれる付加価値は存在する。例えばこ
んなケースだ。 新入社員に課せられる役目として、サプライヤーの名前を覚えなさい、なんて枕詞と共に、電話を最初に取ることを指示される。電話番、電話の取り次ぎであ る。電話の取り次ぎで付加価値?!と思うかもしれない。まず、電話をかけて頂いた相手を一生懸命に思いやって対応するべきである。「新入社員基礎講座 2008」という経営書院より発行されている新入社員向けのノウハウ本には、こんな風に電話対応の模範例が示されている。 ①
電話は自分でかける(かける側が下手です) 上記の例は、あくまでも一般的なものである。重要なのは、新入社員であるから、自分が担当していないから仕事の中身には立ち入れないと思わないことだ。実際 に電話を取り次ぐわけだから、立派な当事者となるわけで、かかわった分だけ責任が発生する。故に、もらっている給与に見合う電話応対を実行しなければなら ないのだ。例えば一刻を争う電話を受けたとする。相手の口調からただならぬ気配を感じて、別の上位者へ繋ぎ、事なきを得ることも可能なわけだ。相手の口調 から何かを感じ取ることが、すなわち「付加価値」にならないだろうか。別に重要な緊急の用件でなくても、相手に心地よい対応を心がけること、相手を悪い気 分をさせないことが付加価値になるので ある。電話応対は最初の一歩である。電話対応すらまともにできない人間に大きなプロジェクトを任せるだろうか。会社にいる時間のあらゆる場面で、自分はど う付加価値を生み出し、事業への貢献をすべきか、ということを考え続けること、ただ会社へ来るから給料が支払われている訳では無いこと、この二つから考え ても、電話応対は全力を持って対応すべきなのである。
(2) 自分からあいさつする 社会人になって経験する会社生活では、いろいろな困難に遭遇する。私はバイヤーをやる前に、営業関係のセクションを二つ経験している。バイヤーとなった後も
何度か組織の変更があったり、会社を変わったりという経験もした。一番大きな変化は、形式的には営業から資材へ異動になった事だ。まったく逆の立場になっ
たわけで、周囲からは「バイヤーの方が良いでしょう?」とよく言われた。しかしそんなことはない。バイヤーは楽で、営業は大変……そんな単純な話ではな
い。(私は実際逆だと確信を持って言えるが、それは又後日) 楽しく面白かしく仕事ができていたと実感する瞬間は、その時の仕事内容だけ決まるものではない。その時、その瞬間、自分の周囲にいた人と、どのように人間関
係を構築していたかに大きく作用される。言うなれば、人間関係が良かったときは、仕事も面白おかしくできていたということだ。 ど
んな会社でも、籍を置く限り、どこのセクションにいても最終的な目標は同じである。自分たちが創造した付加価値をお客様に提供し、お客様からの満足を得
て、相応の対価を頂くのが最終的な目標である。その付加価値がモノかサービスか、製品ならどんな製品かに違いはあっても、根っこの部分は変わらない普遍的
なものだと考えている。 そんな由々しき事態を避けるための第一歩が、人間関係の潤滑油としてのあいさつである。別に体育会のノリで、大声であいさつする必要は無い。笑顔で次の 三つのあいさつをするだけでいいのだ。 1) おはようございます(こんにちは、こんばんは) 2) ありがとう 3) お先に失礼します 特 に朝の「おはようございます」は、何にも増して重要であり、あいさつする本人と周囲に与える影響は大きい。あいさつをしても無視して反応しない人 、睡眠時間が足りない若者は、この世の不幸を一身に背負ったかの如く機嫌の悪そうな顔、そんな日もあるだろう。そんな時、年少者の方が年長者へ先にあいさ つをする(これは礼儀としては非常に重要)なんて既成概念に囚われるよりも、年齢に関係なく先にあいさつをす れば、自分自身がすがすがしくなるという付加価値を得られる。生まれたばかりの赤ちゃんに、年少者と言って先にあいさつを強要する人はいないはずだ。そも そも日常のあいさつの順番なんてことを、あっちこっちで気にして、相手に求めるからおかしくなる。あいさつは自分からするもの、と割り切るべきなのだ。そ してさらに自分から挨拶することで、得られるメリットがある。具体的には次の 三つだ。 ①
ポジティブなコミュニケーションの一歩 ②
自分の存在のアピール ③
自分を褒めるネタ 仕事の基本とは、実は子どもの頃に、人として初めて教わることでもある。 Ⅰ あいさつをしっかりやりましょう Ⅱ 相手に思いやりを持ちましょう。 Ⅲ 悪いことをしたら、謝りましょう。 こ の三点が、会社の中でしっかり実践されれば、世の中優良企業のオンパレードになるはずだ。優良企業と言われている会社は、必ず従業員の皆さんが来訪者へあ いさつをしている。「 おはようございます」の一言が、良い会社への第一歩なのであるのと同時に、朝のあいさつも皆さん一人一人の一日を形作る確かな第一歩になるはずである。特 に準備も入らないし、何か材料が必要なわけでもない。一般的にリターンが一番大きいと言われる自己投資以上に、なんら原資を必要としない「あいさつ」はリ ターンが大きいはずだ。これをやらない手はないと思うがいかがだろうか。 私 は冒頭で、あいさつとは精神主義的なものではなく、きわめて経済合理的なものだといった。あいさつとは1億円をもたらす習慣でもある。バイヤーはいつだっ て「いくら下がったか」という部材のコスト低減にしか目がいかない。しかし、自分のコストまでも考えるのが、ほんとうのバイヤーではないだろうか。 バイヤーとは、日々のささやかな行為からコストの「非効率さ」を見つけ、自ら改善していく勇気を持った人のことである。 つづく
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